平安時代。
794年、桓武天皇は都を京都に移しました。世の中が平和になることを願って平安京と名前をつけた。400年間続いた時代を平安時代という。

1.政治を動かした有力な貴族、藤原氏。
摂政(成人になる前の天皇を助ける役目)となった藤原道長
「この世をば,我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思えば」と,この世はすべて自分のためにあるという思いを歌った歌は有名です。

関白とは?。
成人になった天皇を助けて政治を行う役目。

藤原氏で関白になった藤原頼道が建てた建物は?
京都府宇治市にある仏教寺院、平等院鳳凰堂を建てた。
十円硬貨の絵、世界遺産に登録されている。

荘園について。
地方の豪族や貴族、大きな寺や神社の私有地で、藤原氏に送った土地。
貴族たちが住んでいた広い屋敷、寝殿造。

2.平安時代の文化について。
貴族は寝殿造りの大きな屋敷にすんでいた。
宮殿では、貴族達は雅楽とよばれる音楽を楽しんだ。
十二単とは?
貴族の女性の服装。十二枚の着物を重ねて着ていた。
貴族の楽しみは、
庭の池で船遊び、和歌を詠んだり、けまりなどをして楽しんだ。
ぎっしゃと呼ばれる車。
貴族は牛に引かれた車に乗って出かけた。
日本独自の文化が生まれた。
中国から伝わった漢字から平仮名や片仮名が日本で生まれた。
その仮名文字を使って、紫式部が「源氏物語」、清少納言が「枕草子」の物語を書いた。
源氏物語と枕草子についてもっと詳しく知りたい「源氏物語と枕草子(日本標準)」

3.平安時代の終わりのころ
地方では、天皇に税を納めなかったり、土地の奪い合いがおこり、その反乱をしずめるために、源氏や平氏の武士たちは、京都から遠くまで出かけていき活躍しました。だんだんみとめられるようになり、力をつけていきました。

武士(武器を持っていた人たち、土地を守ったり、反乱をしずめたりする役目)
武士のおこり
@地方の役人や力のあった農民が豪族になる。
A自分の土地を守るために弓矢、刀などで武装した。
B力の強い頭を中心に集まり武士団ができた。
C武士団の統領は、天皇の命令で地方の反乱をしずめる役目をもち、貴族と結びつきなが ら、力をつけていった。
武士の暮らしについてもっと知りたい
平氏について。
十二世紀の初め頃、瀬戸内海や中国地方に勢力をのばした武士団(武士の集団)。
武士の名前に、(たいらの)という姓が付く。たいらのきよもり。たいらのまさかど。
源氏について。
十一世紀の中ごろ、地方の反乱をしずめて、天皇や貴族に認められ、勢力をのばした武士団。武士の名前に、源(みなもとの)という姓がつく。みなもとのよしいえ。みなもとのよしとも。みなもとのよりとも。みなもとのよしつね。

平治の乱
その前に起きた保元の乱で勝利した源義朝と平清盛が争った戦い。平氏が勝ち、源義朝は死に平家の天下になった。そのの子、頼朝は伊豆へ流され、幼い義経は鞍馬山に預けられた。   

太政大臣になったひとは。?
これまで貴族の最高の位であったが、平清盛は、武士で初めてこの行政の最高の位についた。
清盛が造った有名な神社は?
中国の国、宋との貿易で栄えること、航海の安全を願って平清盛がつくった。広島県の宇和島にある神社は、厳島神社である。

4.源平の戦い(源頼朝が平氏を破った戦い。義経の話は有名)

石橋山の戦い・・・伊豆に流されていた源頼朝が北条時政の力を借りて、伊豆で兵をあげ平氏と戦う。負けて千葉へ逃れる。三浦半島でも源氏に味方した三浦義明もまけて衣笠山で討ち死にした。他の息子たちは、千葉にのがれ、頼朝と出会って、また、平氏との戦いに向かう。
富士川の戦い・・・平泉(岩手県盛岡)からかけつけた源義経と源頼朝が会う。
一ノ谷の戦い・・・海岸に陣をひいていた平氏に向かって、後ろの崖の上から馬に乗って駆け下りて平氏をやぶった源義経。今の神戸のあたり。
屋島の戦い・・・・一の谷で敗れた平氏は、四国にのがれた。那須与一が平氏の船にかかげられた扇をみごとに弓矢で射落としたという有名な話がある。
壇ノ浦の戦い・・・源氏と平氏の最後のたたかい。北九州と山口県の下関の間の海峡で船対船で戦った。清盛の孫の幼い安徳天皇も平氏と共に海にしずんだ。
源平の戦いについてもっと調べたい「源平の戦い(日本標準)」
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