鎌倉時代。
1192年、源頼朝が、征夷大将軍になり、鎌倉に幕府を開く。140年続いた。
幕府・・・武士が全国を治めるために、将軍が、いろいろな命令を出す場所。鎌倉時代から始まった。

平安時代は、朝廷という。天皇が政治を京都の御所で行ったところ。幕府といわない。

征夷大将軍
平安時代、蝦夷(関東・東北地方)の征伐の将軍に与えられた位。
源頼朝からは、幕府の最高の位。武士の総大将、武士の頭領。

ご家人・・・源頼朝の家来。自分の家来をひきつれて将軍の命令に従った。
ご恩・・・ご家人(けらい)は、将軍によって土地をもらい、守ってもらう恩を受けた。
奉公・・・ご家人は、何か反乱や争いがあると、「いざ鎌倉」と地方から鎌倉に集まった。
有力なご家人は、地方の守護や、地頭に任命された。
守護・・・地方の反乱をしずめたりする軍事、警察の役目。
地頭・・・今の役所の役目。税をとって収める役目。

執権
将軍を助ける最高の位。お金の出し入れを取り仕切る政所の長官と軍事の長官の侍所かねていた役職。源実朝の死後、北条時政がその役につき、北条氏がその役職についた。

御成敗式目(貞永式目)について。
武士の間で争いごとがたえなかったので、北条泰時が、武士のための決まりをつくりました。
・守護は 軍事・警察の仕事に専念し、ほかの仕事に手を出してはいけない。
・地頭は、年貢の受けわたしに、不正をしてはいけない。
・子どものない女性は、養子をとって領地をゆずりわたしてもよい。
・領地を売り買いしてはいけない。

承久の変
後鳥羽上皇は、源氏の将軍、頼朝、その子の頼家、頼家の弟の実朝が死に、鎌倉幕府の力が弱ったと思った。そして、後鳥羽上皇は、幕府を倒して天皇や貴族の政治に戻そうとして、戦いを起こしました。そのとき、頼朝の妻、北条政子がご家人たちを一つにまとめるために、次のような政子の話が残っている。
北条政子のことば
「みなの者、よく聞け、これは最後のことばである。頼朝公は、鎌倉に幕府を開いて以来、おまえたちに恩賞を与え、領地を守ってくれた。この恩は、すでに山よりも高く、海よりも深い。この恩に報いようとは思わないのか。もし、調停側につきたい者があれば、ただちにこの場で申し出よ。」

北条時宗
元寇と戦った執権。
中国では、日本と貿易をして仲良くしていた宋という国が元という国に滅ぼされてしまった。元という国は、中国から朝鮮半島の国、高麗も家来にして、日本も家来になりなさいという国書(手紙)を北条時宗に送ってきました。

国書
「大蒙古帝国(元)の皇帝から国王への手紙である。
 蒙古は、領土を広げ、その勢いはとてもさかんである。高麗も家来になった。日本とも親しくしたい。
 蒙古が世界を支配するのである。もし、従わないのなら、武力を使うことになろう。」(国書を易しくしたもの)

元寇
元の大軍が、日本を元の家来にしようと、二度にわたって九州の北の方に攻めてきたこと。元は、火薬などいろいろな、武器を使ってきた。北条時宗とご家人の武士たちは、土塁を海岸に築いて、元とけんめいに戦いました。武士たちは、火薬を使って大軍で押し寄せてくる元の兵士に負けそうになった。しかし、そこに、暴風雨(台風)がやってきて元の船は、ほとんど沈没してしまい、残った船も中国に逃げ帰ってしまった。元は、その後、明という国に滅ぼされてしまった。
 元寇がやってきたころに建てたお寺が、北鎌倉の円覚寺。入り口には、堀の役目をした池が残されている。階段を上る前、駅の周りを見てみよう。

北条高時
鎌倉幕府最後の執権。元寇のあと、戦いにたくさんの費用を使った武士たちは、
ほうびとして幕府に土地を要求しましたが、幕府に土地やお金はもうあまり残っていなかった。武士たちの不満がまし、幕府の力も衰えていった。そして、天皇に味方する武士たちが、幕府に味方する武士たちをやぶり、最後の執権、北条高時は鎌倉に攻め込んできた新田義貞によって滅ぼされた。鎌倉に北条高時の最後の地が残されている。


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