奈良時代(710年から794年まで)。
1.平城京について。
710年、中国の唐という国を見習って、新しい都をつくった。平城京とよばれた。
平城京は、オセロの台のように格子状に縦、横のまっすぐな道がつくられ、天皇の住む宮殿や貴族の屋敷や市場にたくさんの品物が売られ、人々でにぎわっていた。

2.万葉集について。
そのころの、庶民の暮らしは、稲を税として収めたり、特産物を都へ運んだり、都の建物を建てたり、道をつくったり、九州を守る兵士になったり、すべて、庶民がやらなくてはならなかった。「万葉集」には、貧窮問答歌の中に、そのころのつらい生活が歌の中に歌われている。万葉集「貧窮問答歌」より。
綿のきものもなく、ぼろを着ている。つぶれかかった家の中では、地べたにわらをしき、まくら元では、両親が、足下では妻や子どもが嘆き悲しんでいる。かまどには、火がなく、ごはんをむすこしきにはくもの巣がはっている。そこへ、むちを持った村長が来て、戸口で「税を出せ」とどなり立てる。

3.大仏はいつ、だれが、なんのためにつくったのだろうか?
8世紀の中ごろ、都では、病気がはやったり、地方でも日照りが続きききんや災害がおこり、貴族の反乱が起こっていた。聖武天皇は、世の中が安心してくらせるようになることを願って、 都の東大寺に大きな大仏をつくり、地方にも国分寺をたてた。

4.大仏はどのようにしてつくったのだろうか?
銅やすずなどの金属でつくる技術は、朝鮮半島から渡ってきた人たちが指導した。土で大きな大仏をつくり、銅やすずを溶かし流し込んでつくった。大仏の表面には、金が張られた。日本全国からこれらの金属が集められた。遣唐使を中国の唐という国に送り、作り方を学んだ僧、行基も協力した。9年間、のべ260万人の人が全国から集められ働いた。
大仏についてもっと詳しく調べたい「大仏つくり(日本標準)」
5.遣唐使
奈良時代、中国の唐の国に、中国の政治のしくみや文化を学ぶために渡った使者。
命がけで海を渡り日本にやってきた中国の僧、鑑真という人がいた。中国から日本に渡ろうとしましたが、強風に遭って船は何度も難破してしまったり、病気にになったりしてしまい。5回も失敗してしまいました。そして、12年もかかり、66歳のとき、ようやく、日本にたどり着きました。鑑真は、多くの僧を指導して、奈良に唐招提寺を建てました。


6.正倉院について。
東大寺の大仏が完成したときに使われた品物や、聖武天皇の使っていた1万点の品物が納められている倉庫。

7.日本で初めて作られたお金は?
中国の唐の国に習って、日本でも金属のお金(銅銭)を造った。
和同開珎が708年に造られ、一番古いと思われていたが、1998年に発見された「ふほん銭」683年に造られ、日本で初めて造られたかもしれない。

奈良時代の暮らしについてもっと調べたい「奈良時代のくらし(日本標準)」
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